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「わかる」に「わからない」をつなごう。
心理療法個人授業 (新潮文庫)心理療法個人授業 (新潮文庫)
(2004/08)
河合 隼雄南 伸坊

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京都、残すところ、あと10日かー。
結局、この4年間、何だったのでしょうか。
4年間、学んで分かったこと、といえば、

ともかく、ひとつのことをやると、奥が深い。
やればやるだけ、よく分からなくなる。

なんて、当たり前のこと。


最近読んだ、「心理療法個人授業」という本で、河合隼雄さんが、「分かる」というのには二つある、といってらした。
既存の枠組みや方法に照らして「分かる」ということ。
そして、発見的に「分かる」ということ。

前者は、学校のテストや、本を読んで、「分かる」ということですよね。
これは、とても大事なこと。
でも、これに頼りすぎると、新しい考え方や発見は生まれないし、どこにも当てはまらない、カオス化した状況では、どうしようも無くなってしまう、ということは、まあ僕が書く必要も無いかな(←ト、イイナガラ、書いてる)
後者は、前者の先にあるもの。
とにかく、悩んだり、うじうじしたり、開き直ったり、
そういうことの中から出てくる、「あ、こういうことカモ」という発見。
味噌は、カモですね。
カモは、ねぎですね。
個人的には、オレンジソースが好きです。

話がずれました。
ぼくが思うのは、
発見的に「分かる」ということは、結局は「分からない」ということなんじゃないか。
この4年で、「こういうことだ!」と発見的に分かったことも、しばらくすると、分からなくなる、ということがたくさん、たくさんあったんです。
結局それは、カモ、なんだ。

「わかる」に「わからない」をつなぐ人は、「わかる」自信と「わからない」謙虚を共存させている。By河合隼雄

そう考えると、4年間は、無駄では無かったの、、、カモ。



最後に、蛇足として。
この本は、とても読みやすいのに、とても面白いのに、すごくいろいろと考えさせてくれる契機となる、良い本です。

「死にたい」と言うことでしか「生きたい」気持をつたえられない人がいる。(中略)
「生きたい」「助けてくれ」と「言えない」苦しさというのに、気がついた。「なんで言えないのか?」じゃなく、言えない人が「いる」というところに気がついた。By南伸坊

この文なんか、すばらしい。

そして、二者択一の投げかけに、そのどちらかを選ぶのではなく、なぜその問いかけが生まれたのか、それを考えること。
なんとなく、わかってたことを、こうもずばっと言われて、はっとした。
素晴らしい本は、かゆいところに手が届いてるな~。
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02/14 00:17 |  | CM:5 | TB:0
新しい文体がしっくりきません。笑
これは何かの実験ですか?
慣れたら気にならなくなるのかしら??

本、面白そうですな。
ブログを読んで何となく『無知の知』を思い出しました。(by哲学入門)

私、こうゆう事ってほっとけば一日中考えてしまうたちなので
大変興味深いです。
あ、次は、なぜ文体を変えるに至ったか、書きます。
やはり、しっくりきませんか。
そうなると思って、別のブログにしようかと思ったけど、書かなくなるかな~、と思って、やめときました(笑)

哲学入門は、なかなか役に立つ授業でした。
本も、ぜひ読んでみてください。

こういうこと考えるの、大事ですよね。
やはり、そこで大切になってくるのは、余裕ですね。
mixiのコメントにも書きましたが、忙しい中で、いかにして余裕を持ち続けるか。
今後の課題です。。。
読点多いな。
面白そうな話題なので食いついてみる。

理解すると閃く…言われて見ればそうかなーとも思うけど、
枠組みを作ったのは先人の閃きの方の「わかった」なのだから、当たり前のことを言っているような気もする。
・・・というとちょっとひねくれてるかな?

個人的には「わかる」「わかった」「わかっているつもり」は全て同じもので、物事のとある側面を捉えているだけなのでは?と考えてる。
要するに、「ある一面がわかった」「今現在把握している分までであればわかる」…だけなんだけど、それで全部をわかっている気になっている状態である、と。

そこに違った一面が見えたり、新たな情報が追加されたりするととたんに「わからなくなる」んじゃないかと思うのです。
今だって人類が何世紀も慣れ親しんで使ってきた鉄に新しい性質が見つかったりしているしねぇ。

今は昔と違って、情報を集めようとすると真偽ごった煮で到底処理しきれない量が集まってくる。
真偽を確かめて、それを解釈して、答えとできる人間は多分ごく少数だ。

だから何だといわれると落としどころがないけどねー。
思考のままに書くと、けっこう読点が多くなります。
今までは、文章的に、消していたのだけれど、あまり今回は、消していません。
読みにくかったら、申し訳ない。

理解したら、閃く、という風に言っているわけではないのです。
大事なのは、理解に苦しむプロセスであり、
そこでなんとなく、落ちどころを決める、
そういう非常に個人的な体験が重要なのではないか。
そういう風に、僕は思います。
>「こういうことだ!」と発見的に分かった
というような部分が、誤解を招いたかもしれないね。
すみません。

物事は、見る角度によって、まったく違うものに見えるのに、一つの見方だけで、すべてを知ったように思ってしまう、ということだね?
I agree with you.
わからないものを理解しようとして、発見的にわかることは、同時に別の一面を見つけることを必ず促すから、わからなくなる、のでしょうね~。
わからない見方を見つけるのが、本当は楽しいんだけどね。
これは、写真の醍醐味にも通じる話だな~。
もちろん、学問の楽しさ、知ることの喜びはみな、ここから来ているのだろうけど。

なんにせよ、自分の頭で考えてみる、ということが大事ですよね。
誤解されているのは私の方の気もするが。

前述の「理解すると閃く、」は「<<理解する>>と<<閃く>>」ね。別個のモンだと理解してるつもりです。

体験として重要と言うのは賛同。

斜め上に頭を使うことには慣れているんだがね。
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